2019.06.04 | 部活会 |
新潟高校ボート部は、旧制新潟中学創立から3年後の 1895年(明治28年)に創部されました。創部から125年、新潟高校でも最も古い部活の一つで、あの会津八一さんも所属されていたそうです。
そんなボート部ですが、新潟には「青山艇友会」というしっかりした会組織があり、年1回の総会や、後輩たちとの信濃川での交流、懇親会などそれなりの活動がされているのですが、なぜか、東京ではこれまで確固とした交流の場がありませんでした。
創部125年ということもあり、青山艇友会で幹事長を務める89回の神林正浩と、この3月に副会長に就任した同じく89回の井上聡の声掛けにより、ひとまず、88回、89回、90回で集まってみようということになり、5月24日、新宿の居酒屋にて懇親会が開催されたわけです。
「阿賀野川レガッタ」昨年のチラシ
信濃川で、手にマメを作り、尻の皮がむける厳しい練習をともにしたクルーの面々。
数十年ぶりの再会という人も居ましたが、酒の力も借り、時空を超え、当時の話に花が咲きます。
誰からともなく「ああ、またボートを漕いでみたい」という声があがります。
競技用のボートというのは、公園のボートと違ってどこにでもあるわけではありません。
新潟に居さえすれば後輩の練習を見がてら少し漕がせてもらうこともあるのでしょうが、東京ではそんな機会も場もないのです・・・。
「実は、9月に津川でレースがある」
幹事長で89回の神林が、9月に、阿賀野川の上流の阿賀町(旧・津川町)で、市民レガッタが開催されるという話を切り出すと、「出る、出る!」、「俺はバウ、お前は確かストロークだったな」、「誰々は3番、あいつは2番」、「コックスは?」、「私がやる!」、あれよあれよという間に、2艇分のクルーが出来上がります。
「漕ぎ手4名で200歳超であること」が条件の「熟年の部」に2艇のクルーで参加することがその場決定。
腕がつり、足がつり、腹筋がつり、背中もつる、ボート競技。
200歳超のクルーたちが、果たして500メートルを無事漕ぎ切れるのか?
なんでも、上位は全国大会への出場権がもらえるということで、
「よーし、全国だ!」と意気上がる熟年クルーたち。
このようにして、東京ボート部の交流会は、125年の歴史と誇りを胸に、大海原ならぬ阿賀野川に漕ぎだすことになったわけです。
追記:泥酔したある者は、翌日、昼出社となったそうな。。。
※注:4人編成のボートの場合、船首に一番近いポジションがバウと呼ばれ、次が2番、3番、ストロークという編成で、船尾にコックスがクルーと相対する形で座り舵を取ります。